こんばんは。
風神雷神図は江戸時代の絵画の中で、誰でも知っている(聞いた事はある)人気の作品です。
人気というのは最初に江戸時代初期に、俵屋宗達が描いて以来、多くの画家が、模写したり
トレースして描いてきたからです。
時代の流れ順にご覧ください。
俵屋宗達(1570〜1643)
京都の建仁寺に有った物ですが、京都国立博物館に所蔵されています。
印章が無いにもかかわらず宗達作だと疑う人は居ません。
屏風の高さが154.5cm 尾形光琳のに比べると12cm小さいサイズです。
尾形光琳(1658〜1716)
風神雷神部分はトレースしたため、同じサイズです。屏風が大きいので雷神の太鼓が全部描かれています。全部入っているので小さく感じる
のと、周りの影が強い事も影響していると思います。(この辺りから私の勝手な解釈)
*光琳は呉服染め物屋の息子さんなので、日頃から絵がややデザイン的になっている。
*梅の花(井上蒲鉾の梅花はんぺんに似ている)
*燕子花屏風は同じ型を繰り返している。
などの事から宗達に比べリアル感は減り、デザイン感が強まったと思います。
たらし込み技法を得意としていたので周りに
銀箔を貼り腐食液を垂らしたので、時代とともに腐食が進み黒くなりすぎてしまったのでは、と思っています。
MOA美術館で見た紅白梅図屏風も同じ構図で、
銀の腐食が施されていました。(腐食液のたらし込みは光琳オリジナル)
酒井抱一(1761〜1829)
宗達が描いた事を知らないで、光琳の方だけを見て模写した物と言われています。
こちらも太鼓が全部入っています。
私は太鼓が入り切れない構図の宗達の絵に勢いを感じます。
鈴木 其一 (1796〜1858)
鈴木 きいつ、は酒井抱一のお弟子さんで、
江戸時代末期に琳派を完成させた人と言われています。
宗達の模写ではなく、テーマは同じだけれど
構成にオリジナリティを感じます。
(絵画や彫刻など 芸術作品を見て、どう思ったかとか、作者はどの様な思いで作ったか、という様なかテストは嫌だなぁーといつも思っています。国語のテストも同様!苦手でした)
☆ 塗り絵 下絵 金魚草
今日もありがとうございました。
廣野 妙子